(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/坂本龍馬) |
このエントリーは『DevLOVE Advent Calendar 2014 「越境」』の72日目(2015年1月18日)の記事です。Advent Calendarの2回目の投稿です。
昨日のエントリーは、@だいごろうさんの「越境について〜固定概念からの越境〜」でした。
自己紹介
「駅すぱあと」という経路案内・乗換案内サービスを提供している会社で働いている。ほんの数年前までエンジニアをしていたが、現在は管理職という名のアジャイル大好き人間で&エモい人。
「脱藩」と書いて「くにぬけ」と読む。
江戸末期、竜馬は土佐から脱藩した。
当時、脱藩は大罪である。主君への裏切り行為であるからだ。御家はおとり潰しになる可能性もあり、家禄もどうなるか分からず、罪は新類縁者におよび、当人は藩には戻れず、横目役などに捕まれば死罪にもなる。
しかし、今は平成の時代。この藩命は跡形もなく、自由に国抜けできる。
私の言う「くに」とは、会社という単位でもなく藩(県)という単位でもない。
日本という国である。
決して会社を辞めようという薦めではないw。
新卒後、生麦村(生麦事件で有名)付近の会社と、仙台藩にある会社で社会人を10年くらい経験したあと、南半球の袋熊(コアラ)や跳躍者(カンガルー)が生息する濠太剌利国(オーストラリア)に脱藩した。
米国国家航空航天局(NASA)から宇宙に旅立った毛利衛さん(http://ja.wikipedia.org/wiki/毛利衛)が通っていた大学院で勉学に勤しんだ。彼に憧れて(半分法螺である)。
南半球では太陽の動き方が逆である。天才バカボンの世界である。♬ 西から昇ったお陽様が...いや西から昇らない。東から登り北の空をめぐるのだ。
そして、日当りの良い部屋は好まれない。暑すぎるのだ。日陰の方がいいのだ。私の住んでいた地域の話だが。
正反対なのだ。
まぁ、そんなことは置いておいて、くにぬけすることで、外から見え、内との比較ができるようになる。これは海外で生活した人なら似たような感覚を持つはずだ。
文化、道徳、宗教、動物、食事、住まい、家族関係、価値観など、諸外国の人との会話で、「お前の国はどうなんだ?」って聞かれる。
そんなこと、あえて考えたこともなかった。日本に住んでいれば、周りとの暗黙知であるから考える必要性がでてこない。
諸外国の人達に聞かれてあらためて考え、言語にし、コミュニケーションをとるのだ。自分の国をふりかえるのだ。
半分、海外に憧れて脱藩したところもあるのだが、日本の良いところをたくさん見つけられた。
サービスは過剰すぎるほど丁寧だし、おもてなしも最高である。おつりの計算、時間、仕事のスケジュールなどは、これでもかというくらい正確である。水が奇麗で豊富であり、食文化がいたる地域にある。この地域食文化は日本特有なのかもしれない。北海道から沖縄まで、土地々々のご当地名産品やお酒や醤油がある。それを目当てに旅行もできる。それぞれの土地の日本食のおいしさは格別である(これ1番重要)。
もちろん、同じくらい濠太剌利国(オーストラリア)の良いところもたくさん見つけたが、それはまた別のお話しとして。
世界という視点に立つと、ヨーロッパ、アフリカ諸国と比べると、アジア各国の人達とは考え方や文化が非常に近いことに気づく。
その中でも、韓国の方々とは本当に近い。儒教という考え方が長い時間をかけて、それぞれの国に影響を与えたのだと思うと浪漫を感じる。おもてなしや優しさ、心配りの仕方、食文化など、本当に親近感が湧くのだ。
Beer Barにて、ポーランド人とハンガリー人が、それぞれの母国語で会話している。
言語があっていようが文法があっていようが関係ないのだ。コミュニケーションは手段に過ぎないのだ。
ある文脈においては、世界とは、そんな風でいいのだ。
私は、このように感じることができた。十人十色だろう。
外から客観視することで自分の価値観を考えるキッカケになるのだ。1週間でも2週間でも良いので、旅行ではなく生活者として住んでみることを薦める。
くにの外から、内を見てみるのは、良さの再確認にも繋がる。
そして、脱藩(くにぬけ)という越境は、新たな価値観を引き出し、脳内バリアを破るにはとても良い手段である。壮大なビジョンやイノベーション、そして夢を考えるその手段として。
明日は@仙台課長さんです。
10年以上前、脱藩する前、仙台藩にお世話になっていたこともあり、思い出深い土地である。
さてさて、明日は、どんな話が聞けるのか楽しみですね。
脱藩
「脱藩」と書いて「くにぬけ」と読む。
(引用:竜馬がゆく 第2巻 P.398 著 司馬遼太郎) |
当時、脱藩は大罪である。主君への裏切り行為であるからだ。御家はおとり潰しになる可能性もあり、家禄もどうなるか分からず、罪は新類縁者におよび、当人は藩には戻れず、横目役などに捕まれば死罪にもなる。
しかし、今は平成の時代。この藩命は跡形もなく、自由に国抜けできる。
私の言う「くに」とは、会社という単位でもなく藩(県)という単位でもない。
日本という国である。
決して会社を辞めようという薦めではないw。
私は脱藩した
新卒後、生麦村(生麦事件で有名)付近の会社と、仙台藩にある会社で社会人を10年くらい経験したあと、南半球の袋熊(コアラ)や跳躍者(カンガルー)が生息する濠太剌利国(オーストラリア)に脱藩した。
米国国家航空航天局(NASA)から宇宙に旅立った毛利衛さん(http://ja.wikipedia.org/wiki/毛利衛)が通っていた大学院で勉学に勤しんだ。彼に憧れて(半分法螺である)。
(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/フリンダース大学) |
外から内を見ることの重要性
南半球では太陽の動き方が逆である。天才バカボンの世界である。♬ 西から昇ったお陽様が...いや西から昇らない。東から登り北の空をめぐるのだ。
そして、日当りの良い部屋は好まれない。暑すぎるのだ。日陰の方がいいのだ。私の住んでいた地域の話だが。
正反対なのだ。
まぁ、そんなことは置いておいて、くにぬけすることで、外から見え、内との比較ができるようになる。これは海外で生活した人なら似たような感覚を持つはずだ。
文化、道徳、宗教、動物、食事、住まい、家族関係、価値観など、諸外国の人との会話で、「お前の国はどうなんだ?」って聞かれる。
そんなこと、あえて考えたこともなかった。日本に住んでいれば、周りとの暗黙知であるから考える必要性がでてこない。
諸外国の人達に聞かれてあらためて考え、言語にし、コミュニケーションをとるのだ。自分の国をふりかえるのだ。
半分、海外に憧れて脱藩したところもあるのだが、日本の良いところをたくさん見つけられた。
サービスは過剰すぎるほど丁寧だし、おもてなしも最高である。おつりの計算、時間、仕事のスケジュールなどは、これでもかというくらい正確である。水が奇麗で豊富であり、食文化がいたる地域にある。この地域食文化は日本特有なのかもしれない。北海道から沖縄まで、土地々々のご当地名産品やお酒や醤油がある。それを目当てに旅行もできる。それぞれの土地の日本食のおいしさは格別である(これ1番重要)。
もちろん、同じくらい濠太剌利国(オーストラリア)の良いところもたくさん見つけたが、それはまた別のお話しとして。
考え方
世界という視点に立つと、ヨーロッパ、アフリカ諸国と比べると、アジア各国の人達とは考え方や文化が非常に近いことに気づく。
その中でも、韓国の方々とは本当に近い。儒教という考え方が長い時間をかけて、それぞれの国に影響を与えたのだと思うと浪漫を感じる。おもてなしや優しさ、心配りの仕方、食文化など、本当に親近感が湧くのだ。
近い遠いより姿勢が大事
Beer Barにて、ポーランド人とハンガリー人が、それぞれの母国語で会話している。
俺:お前ら何で話せるんだ?通じているのか?
彼ら:話せないけど、話せる。
俺:なぜ?
彼ら:通じるものは、通じる。
俺:ふーん。そういうものなのか、ヨーロッパは。
彼ら:日本と韓国も同じだろ!俺たちにとっては、どっちも同じに見える。
俺:いやいやいや母国語どうしで会話なんて全くできないよ。無理無理無理!
言語があっていようが文法があっていようが関係ないのだ。コミュニケーションは手段に過ぎないのだ。
ある文脈においては、世界とは、そんな風でいいのだ。
これでいいのだ!姿勢や価値観など多くの発見がある。内にいては通り過ぎて見過ごしてしまうのだ。大事な機会を。
すすめ・すすめ
私は、このように感じることができた。十人十色だろう。
外から客観視することで自分の価値観を考えるキッカケになるのだ。1週間でも2週間でも良いので、旅行ではなく生活者として住んでみることを薦める。
くにの外から、内を見てみるのは、良さの再確認にも繋がる。
そして、脱藩(くにぬけ)という越境は、新たな価値観を引き出し、脳内バリアを破るにはとても良い手段である。壮大なビジョンやイノベーション、そして夢を考えるその手段として。
さぁ、脳内バリア破って越境だ!
次は?
明日は@仙台課長さんです。
10年以上前、脱藩する前、仙台藩にお世話になっていたこともあり、思い出深い土地である。
さてさて、明日は、どんな話が聞けるのか楽しみですね。
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